私はつい最近「流れに棹(さお)さす」という表現を、流れに抵抗する意味で使おうと危(あや)うく使いそうになりました。もちろんこれは誤用であります。

「檄を飛ばす」・・・元気の無いものに刺激(しげき)を与えて元気づける、活気づける
   「姑息」・・・卑怯(ひきょう)
  「憮然」・・・腹を立てている様子

そういう意味だと思っている人が、今日発表されました文化庁の国語世論調査では、およそ7割にのぼることがわかりました。

しかし正しくは、
 「檄を飛ばす」は、自分の主張を広く伝えること
 「姑息」は、一時しのぎ
 「憮然」は、失望してぼんやりしている様子
これが正しい意味だということだそうです。
 

言葉というのは変わっていくものでありまして、使われ方も変わります。しかしながら、正しく使われる事が望ましい事はもちろんであります。

しかしながら私は随分長いこと学生を中心の若者とずっと接してきまして、実はこのことよりもっと心配なことがあります。つまり若者たちの世界からどんどん日本語が消えていっていることでありまして、この3つの言葉(檄を飛ばす 姑息 憮然)を使いもしなければ知らない若者がどんどん増えているのではないかという恐れを感じます。

正しく使う以前に日本語そのものが消えていくとしたら、その事の方がもっと問題なのかなと思うのですが、ちなみにこの調査によりますと、3つの若者言葉「なにげに」「1コ上(”コ”で数える)」「チョー」という言葉、この使われ方がどんどん増えているそうです。この事をどう考えたらいいのか。